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ロジャー・グローヴァー(Roger Glover,1945年11月30日 - ) はイギリス・ウェールズ出身のベーシスト、キーボーディスト、音楽プロデューサー。名字は「グローヴァー」と表記されることが多いが、「グラヴァー」のほうが本来の発音に近い。身長175cm。 == 来歴 == 本名ロジャー・デヴィッド・グローヴァー。1945年にサウス・ウェールズのブリーコンで生まれる。9歳頃からピアノのレッスンを受け、10歳で家族と共にロンドンに移住。この頃からロックに興味を持ち始め、13歳でギターを始め、16歳の時に最初のベースである赤いホフナー・ソリッド・モデルを手にする。いくつかのアマチュア・バンドを経て、1965年にイアン・ギランと共にエピソード・シックスに加入しプロ・デビューを果たす。レコードを何枚も発売するが大成せず、1969年、リッチー・ブラックモアの誘いによりギランと共にディープ・パープルに加入する。黄金期の屋台骨として活躍するも、メンバー間の対立もありグループを脱退。 その後、ディープ・パープルが設立したレコード会社「パープル・レコーズ (Purple Records) 」のスタッフに入り音楽プロデューサーとして活動を始める。1970年代にはプロデューサーとしてナザレス、エルフ、ステイタス・クォー、ジューダス・プリースト、デイヴィッド・カヴァデール、イアン・ギランなどのアルバムを手がけた。 1974年に最初のソロ・アルバム「バタフライ・ボール」を発表。翌年にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて公演を行い、この模様は後にDVDとして発売された。1978年、壮大なインストゥルメンタル組曲のアルバム「エレメンツ」を発表。 1979年、ブラックモアの誘いによりレインボーに参加。1984年のレインボー解散までベーシスト、作詞家、プロデューサーとしてバンドに貢献。 同年4月にディープ・パープルが再結成されると、ブラックモアやギランら往年のメンバーと共にこれに参加。2012年現在も同バンドの一員として活動中。 2006年にドリーム・シアターがディープ・パープルのライヴカヴァーアルバムを発表した際にはプロデューサーとしてこれに関与している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・グローヴァー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Roger Glover 」があります。 スポンサード リンク
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